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生卵

清志郎はビートルズの大ファンで、レコードをすり切れるほど聞いていたそうですから、今回の「ザ・ビートルズ・ボックス」イベントもCHABOと一緒に出ていたかもしれませんね。

CDやDVDは擦り切れませんが、書籍はどうしても傷んでしまうので、私は1冊づつビニールに入れて保存用に置いています。

090909_1709~01


生卵も持っているのですが、ずいぶん傷んでしまっているので「新装版 生卵 忌野清志郎画報」を買ってしまいました。


新装版 生卵 忌野清志郎画報





「生卵」は清志郎のイラストによる創作物語「夢の国」など、清志郎本人による絵や文章が多くて、奥さんへの伝言メモとか、ファン通信の「一旗」新聞完全縮刷版や竜平君との幼稚園入園、小学校入学時の写真などなど人としての清志郎に触れた部分が多い異色な本です。

ロックンロール研究所の研修生たちによるインタビューが載っていたり、ドラッグのことにも触れていたり...

「Rock’nRoll教育法」では、栗原家育児四カ条(一、幾時に寝ても問題なし 二、仕事(幼稚園)にいく時間は守らなくてもいいが、遅れても必ず行くように 三、いくじなしは許しません 四、すごいクジ運の父を見習え……四カ条全てに”いくじ”がかけてあってダブルミーニングになってます。^^)などがあり、つづく「ドトウの育児日記」でも清志郎の子煩悩ぶりが紹介されています。

――「ウン、まちがいない、オレの子だ」と確信するのはどんな瞬間ですか?

いちいちそんな確信などしないものだ。
眠るときもいっしょにいるし、朝、目覚めたときから、いるのだから、それでいいのだ。
もしもオレの子じゃなくても、もうオレの子だよ。


――自分が死ぬということは考えますか?
――それともいつ死んでもいいような感じがするとか。


「うん…子供できるとそういう感じになりますよ。
竜平ちゃんももう6歳だし、モモちゃんも3歳だからもういいかっていう…」


――もういいか(笑)。

「いつ死んでも大丈夫だな…みたいな」

「オレも死にたくないよ(笑)。
でも、死んだとしてもまあいいかなっていう感じは…。
竜平くんとか生きてれば。俺だけ死ぬんならまあいいかなという…」


値段は張りますが、「人間 清志郎」を知りたい方にはおすすめです。

こんな一面をみせているエピソードもあります。

msc0905260827001-p1.jpg 「賢太くん ありがとう。君のおかげで勇気
が わいてきたよ。これからは いっしょに
がんばろう!つらい時は 君を 想い出すよ。
君がつらい時は ぼくを思いだしておくれ。
そして 遠く離れていても いつも いっしょに
のんびりと がんばって 行こうぜ。

Tシャツ よかったら 着てください。
ぼくも 今 頭はツルツル ボーズだよ。
じゃ また。 元気で

賢太くんへ   忌野清志郎 8/18 ’06」

産経新聞2009年5月26日より

■「そして、遠く離れていても、いつも、いっしょにのんびりとがんばって行こうぜ」

 2日に58歳でこの世を去ったロック歌手、忌野清志郎さん。派手なメークと奇抜なヘアスタイルの一方で、小児がんと闘う幼児に直筆の手紙を送るという心優しい一面もあった。手紙を受け取った幼児の父親は「わが家の家宝として額縁に入れて飾っています。忌野さんの元気やユーモアを受け継いでいきたい」と話す。(竹中文)

 20年来のファンだった宮崎県日向市の会社員、甲斐譲司さん(41)が忌野さんにファンレターを送ったのは、忌野さんががんに侵されていることを知った平成18年の夏だった。当時2歳だった甲斐さんの次男、賢太ちゃんは、前年に「小児がん」の診断を受けていた。甲斐さんは、闘病中の賢太ちゃんの写真を同封し、便箋(びんせん)に「賢太も頑張っていますので、清志郎さんも頑張ってください」としたためたという。

 忌野さんから小包が届いたのは、それから約1カ月後のこと。小包にはサイン入りのTシャツや本など、忌野さんのグッズがぎっしりと詰まっていた。直筆の手紙もあり、力強い文字で「君のおかげで勇気がわいてきたよ。これからは、いっしょにがんばろう! つらい時は君を想い出すよ。君がつらい時は、ぼくを想い出しておくれ。そして、遠く離れていても、いつも、いっしょにのんびりとがんばって行こうぜ」と励ましの言葉がつづられ、結びには「ぼくも、今、頭はツルツルボーズだよ」とあった。

 手紙を読み、声を出して泣いたという甲斐さんは「仕事をしながら、4時間かけて次男が入院中の病院に通っていた時期でした。体力も気力ももう限界だと感じていたのですが、手紙のおかげで元気をもらい、なんとか乗り切ることができました」と振り返る。

 昨年、忌野さんが復活を記念して東京・日本武道館で開いたコンサートには、妻と2人で足を運んだ。「忌野さんが亡くなったときは、息をするのも忘れてしまうくらい茫然(ぼうぜん)とした」と言うが、今は「忌野さんからもらった元気やユーモア、優しさを受け継ぎ、伝えていきたいと思っている」。5歳になった賢太ちゃんは今は自宅療養中で、忌野さんからの手紙は家宝として額に入れて飾ってあるという。

 忌野さんと手紙で交流したファンは全国各地にいたようだ。所属事務所の担当者は「ファンクラブにはたくさんの手紙やプレゼントが届きましたが、彼はそのすべてに目を通していました。返事を書くこともあったようです。仕事場で手紙を書くようなことはなく、プライベートな時間につづっていました」。

 忌野さんと交流があった歌手の加藤登紀子さんは、がんと闘った夫を看取(みと)っている。「コンサート会場などで何度か忌野さんと会いましたが、いつも静かにほほえんでいました。がんと闘っている人と手紙で交流していたと聞いて、あの笑顔や歌は、そうした『愛』によって作られたのだなと実感しました。昨年のコンサートでは、闘病中に階段が一段も上がれなかったことを打ち明けながら、ジャンプしていましたが、その姿に勇気づけられた闘病者はたくさんいたはずです」と忌野さんをしのんだ。

[ 2009/09/09 18:24 ] いろいろ 趣味 | TB(0) | CM(0)
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