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パウシュ教授の膵癌治療

以前から紹介しています、パウシュ教授の膵癌治療について彼が公開してる範囲で記事にしたいと思います。

最後の授業 ぼくの命があるうちにが行われたのは2007年9月18日でした。

手術前に送られたメール

親愛なる友人と同僚に、 このような一括送信のメールで恐縮だが、今のような状況では噂や誤った情報が瞬く間に広まるため、一括送信のメールはみんなに正しい情報を送れる最良の方法なのだ。 私は最近すい臓がん(腺がん)と診断された。いいニュースは腫瘍を外科的に除去可能な20%のすい臓がん患者の一人だということだ。手術はUPMC付属シェイディサイド病院で9月19日火曜日に予定されている。大きな手術になり、腫瘍(直径3mm)、胆嚢、すい臓の一部、小腸の一部、それに胃の一部も切除するかもしれない。病院に2-3週間入院し、それから4週間自宅のベッドで過ごす。この時点で肉体的には100%になる。手術でがん細胞をすべて取り除ければ、私の勝ちだ。そうでない場合には、やがてがんが再発するだろう。統計的には、長期的な予後はあまり薔薇色とは言えない。5年生きられるのは手術した人のほんの10-20%だ。言うまでもないが、私は生き残る幸運な一人になろうと思っている! この病気になる人の年齢の中央値は66歳なので、典型的な患者より私の可能性が高いと信ずべき理由がある(私は45であり、体が丈夫だ)。医者たちは手術後により強力な化学療法や放射線療法を使うことができる。妻のジェイと私にとって、私のいない2ヶ月の間子供たち(4歳のディラン、2歳のローガン、4ヶ月のクロエ)の世話をするための環境の整備が現在の主な関心事になっている。このニュースがいいニュースでないのは確かだが、みんなには私の口から、正確な情報を伝えたかった。手術前にやっておかなければならないことが山ほど残っている。だからしばらくは電話やメールに答えられないことを容赦していただきたい。この情報をしかるべき人に伝えていただきたい。

2006年9月19日

ピッツバーグ大学メディカルセンター(UPMC)付属シェイディサイド病院にて手術。
ランディの手術はウィップル手術としてよく知られているものです。手術時間は約10時間。

2006年9月27日

ランディはお医者さまの指示で歩き回りましたが、まだとても疲れています。排水のためにのどから胃に通したチューブをまだ付けています。全体としては順調です。

2006年9月28日

胃の内容物を取り除くための経鼻胃チューブは外されましたが、点滴は付けたままです。また、痛みを除くためのモルヒネの点滴/PCA(自己調節鎮痛法)をまだしています。今では口から飲み物を飲むことができます。

2006年10月2日

日曜の午後経鼻胃チューブがランディの胃から取り除かれました。飲んだものをもどすこともなく、うまくいっているようです。固形の食べ物も少し食べられるようになりました。

2006年10月12日

ランディは10月12日木曜に術後最初のがん専門医の問診を受けました。手術からの回復は順調です。

化学療法の開始は手術から12週間以上置かない方がよいとのことです。この後何週間かのうちに、ランディとジェイはがんとの闘いを次にどう進めるか決めることになります。ランディはもちろん山ほど事前調査をし、様々な治療の選択肢について医師と相談しています。

2006年10月25日

ランディはヒューストンでM.D.アンダーソンプロトコル治療の患者として受け入れられました。

2006年10月27日

ランディ・パウシュからのメール

親愛なる友人と同僚たちに 第一に私の診断以来溢れるような気遣いと助けを注いでくれる人たちにどれほど心を動かされたかをお伝えしたい。ジェイと私があなた方みんなにどれほど感謝しているか、言葉では伝えきれない。 私の手術はとてもうまくいった。医者が腫瘍をすべて取り除いてくれた。特に重要なのは、術後の治療としてよりよい選択肢を見つけられたことだ。最初診断されたとき(その時に書いたことが下の方にある)、私は手術が成功して腫瘍をすべて取り除いても、5年生きられる可能性が10-20%しかないと言われた。狂ったように調べ、5年生存率45%を達成している実験的な治療法があることを見つけた。これは本当に大きな進展だった。10月31日に私はヒューストンにあるM.D.アンダーソンがんセンターに赴く。そこでクリスマスまで治療を受けることになる。それから治療の最後の5ヶ月間の部分はピッツバーグに戻って受ける。 ヒューストンでの治療は7週間に渡る*極めて*毒性の高い化学療法/放射線治療になる。このプロセスを言い表すのに、何人かの医者が「死の瀬戸際まで追い詰める」ことになると言っていた。これはうれしい話ではないが、生きられる可能性を上げられるのであれば安いものだと思える。妻のジェイは治療の間私と一緒にヒューストンにいる。3人の子供たちはジェイの家族とバージニア州ノフォークにいる。ピッツバーグに戻ってからの5ヶ月間の治療は比較的おとなしいものなので、1月にはどうにか普通の生活に戻れるだろう。

2006年11月14日

 
昨日の夜ランディは最初の化学療法を受けました。治療は午後6時頃に始まり、1:30頃に終わりました。 夜遅くにです! 今日ランディは調子が良く、朝食を取りました。

2006年11月16日

化学療法の3日目で、ランディは順調です。眠れない夜を過ごしましたが、日中は眠れました。

2006年11月28日

ランディはの治療はほとんど中間点まで来ました。この金曜に、化学療法のはじめの半分を完了します。金曜の治療のあと、土曜日は休息し、日曜にノーフォークに向かい、家族と一週間過ごします。12月9日に戻ってきて2回目に取りかかります。化学療法による副作用が出ていますが、医者は彼が楽になり、体重を保てるようにと様々なことを試みています。

2007年1月2日

ランディからのメール

治療が終わったことを喜びをもってお伝えしたい。儀式用の鐘があって鳴らせるようになっていた。写真を添付しておこう(だいぶやせた。83キロから67キロに減った)。この体験自体については、1985年の理論試験の通過が私の人生で2番目に困難なことになったとだけ言っておこう… ピッツバーグに今日(12月30日)戻ってきた。副作用(寝たきりになる疲労と、恒常的な吐き気)は、化学療法と放射線療法の影響が私の体からゆっくりと抜けるまで、まだ2週間くらい続くだろう。しかし重要な点は、私がすべての治療を受けることができたということだ(患者の多くはこの毒性に体が耐えられないために治療を中断ないしは中止している)。これは私が治療の恩恵を最大限に得られたということだ。

 

2007年1月31日

ランディからのメール

治療のヒューストン(M.D.アンダーソンがんセンター)での部分を終えてひと月になる。一番辛い部分が済んだ。 様々な形で私と私の家族を助けてくれた人たちにお礼を言いたい。みんなの励ましや物的な支援があって、このとても挑戦的な道を進むことができた。とても感謝してる。 家で家族といられるのは素晴らしい。私の疲労(下記参照)は、3人の就学前の子供とその活動レベルを前に、挑戦を受けることになるけれど。以下に小さなわんぱくたちの写真を載せておく… 9日前、私は化学療法のピッツバーグ部分を開始した。これは4月末まで続くことになる(5.5週の間、フルオロウラシル、あるいは5FUと呼ばれる薬を投与し、3週間休んで、それから5.5週やる)。[ナード向け情報: これはウェストポーチに入れたポンプから継続的に注入する。このポンプはセグウェイを作ったディーン・ケーメンが発明したものだ。] この治療はそんなにひどいものではない(ヒューストンでは、この薬に加えてインターフェロンとシスプラチンを取り、さらに毎日放射線照射をしていた)。実際、ヒューストンから引きずっている影響の方が、現在の化学療法の影響よりも大きい。ヒューストンの化学/放射線療法で血液成分が減少し(特にヘモグロビンとマグネシウム)、そのためずっと疲れているような状態だ。夜は9-10時間眠っており、日中もある部分はベッドで休んでいる。私の消化器官はまだへたばった状態だが、痛みはゆっくりと少なくなっている。 ありがたいことに、ヒューストンの後3週間続いていた恒常的な吐き気はようやくなくなり、(ゆっくりとだが)体重も回復し始めている。一時は64キロにまで減ったが、現在は67キロになった。 この後何ヶ月かは虚弱状態が続くだろうが、その後は完全な状態に戻るはずだ(手術による消化管の小さな構造的変化は除く。私は胃の1/3と、小腸を数フィートと、胆嚢と、すい臓の1/3を恒久的に失った――だから食事するときにはすごく注意している)。いいニュースは、ヒューストンの化学/放射線療法は消耗させられるにしても、多くの場合、体に長期的なダメージは残らないということだ。 これらすべての中で特に重要なことは、私が治療をすべて「スケジュール通り」にやってこれたことで、長期的な可能性を増やす上でこのことは鍵になるのだ。様々な理由により、私が5年生きられる可能性は現在おおよそ50-50だ。医者は私に対して決して「治った」という言葉を使うことはないが、5年生き延びることができれば、再発の可能性はずっと低くなる。 50-50という勝算はすい臓がんになった人の多くよりはずっといい。そして私は自分がどちらに賭けるかわかっている! 助けてくれているみんなにもう一度ありかどうと言いたい。

2007年2月9日

ランディからのメール

クレアからみんなもっと様子を聞きたがっているというフィードバックをもらった。毎週クレアに近況を伝えるようにしよう。 今週はいいニュースがある。体力と胃腸が目に見えて良くなっており、これは素晴らしい。ベッドで休んでいる時間は短くなっており、家で椅子に座って仕事する時間が増えている。思い切って家の外に出ることもある。私は依然「正常」とはほど遠いが、毎日家の外に出ている。昨晩はカーネギーサイエンスセンターのイベントがあってUMPC SportsWorksに家族みんなで行った。 今日は妻のジェイと朝食に出かけて、普通の食事を取ることができ、後で強く痛むこともなかった。これは新しいことで、すごくありがたい。だからヒューストン以来、5-FU化学療法で傷つくよりも回復の方が大きいということだ。ピッツバーグはすごく寒いが、先週は珍しくずっと晴れていた。陽の光は大歓迎だ! ああ、それから「踏んだり蹴ったり」のすごい例があった。私がヒューストンにいる間に、www.randypausch.comのドメイン登録が切れて、誰かスロバキアの人間が金目当てで横取りするという事件があった。ゲイブ・ユーのおかげで、取り戻すことができた。 ケン・ケネディがすい臓がんで亡くなったこと(http://tinyurl.com/yudcpn)と、ジム・グレイが海で行方不明になった(http://tinyurl.com/2hshgw)というニュースには、他のみんなと同様、悲しんでいる。ジム・グレイは私の論文審査委員であり、私が出会った中でも最も傑出した人物の一人だ。彼が見つかることを願っている。

2007年2月19日

ランディからのメール

今日のニュースはみんな良かった - 白血球数もヘモグロビン数も先週から上がっている。5-FU化学療法を受けていながら、私の体は自ら修復しようと努めているようだ。あと9日で、5-FUの最初の5週間半のセッションが終わる。それからウェストポーチやチューブなしで3週間休む(これは子供たちともっと思いっきり遊べるということだ!)。 日によって疲労の度合いは大きく変わる - 先週の金曜は一日仕事し、とても調子が良かったが、週末は大部分横になって過ごした。今日は調子がよく、ジェイと一緒に一晩ミニ休暇に出かるつもりだい。彼女は私と3人の子供の世話を少し休むことができる。 それに晴れているし!!

 

2007年3月1日

ランディからのメール

引き続きいいニュースだ。今日5-FUから切り離された。2週間半置いて、それからまた6週間5-FUをやり、それで治療はすべて終わりだ! 月曜の血液検査はいい結果だった。ヘモグロビン、白血球、マグネシウムレベルはどれも許容範囲内だった。 疲労のため相変わらず1/2のスピードで動いており、胃腸の問題(腸の痛みと下痢)は残っているが、5-FUのよく知られた副作用なので、5月になればなくなると期待している(2週間半の休みはたぶん体が回復するのに十分ではない)。 子供たちが結膜炎にかかったみたいだ。幸い、これは私がかかってもたいした問題にはならない。

2007年3月13日

ランディからのメール  きれいなCTスキャン!

妻のジェイと私はヒューストンのM.D.アンダーソンがんセンターから戻ったところだ。CTスキャンはがんの再発をまだ示していなかった。血液中にCA 19-9の上昇も見られなかった。言い換えると、健康証明をもらったということだ。 これは私が「勝った」ことを意味しないが、まだ負けていないことを意味しているのは確かだ! 私の5年生存率は相変わらず45%のままだが、まだ勝利の道を進んでいるということだ。スキャンの厳しいところは、完全な記録が必要だということだ。がんが再び現れたらゲームオーバーで、私はおそらく数ヶ月以内に死ぬ。だから私は幸運を必要としているが、45%より分の悪い賭けなら人生ていくらでもしてきた。 ここピッツバーグで化学療法(5-FU)をあと6週間続ける。薬のため疲労が激しいが(毎日休息のため何時間か横になっている)、短い時間だけでも「自分」でいることができる。欠けているのは長く続くスタミナだけだ。いつものようにキャンパスで人と会っているが、仕事の多くは家でやっており、一日中メールを読んでいる。SIGCSEでAliceシステムについてプレゼンするためシンシナティまで旅行さえした。(Aliceチームに感謝。私が1/2のスピードで動いている間に、彼らは素晴らしい仕事をしてくれている。) 子供たち(ディラン、ローガン、クロエ)に付き合うのは消耗するが、一度に10分だけ遊び、それから休む、というのを繰り返している。子供たちはとても順調だが、これは私の素晴らしい妻のジェイが何事もないかのように見せるためどれほど努力しているかを示すものだ。 6月1日(化学療法が終わってから1ヶ月後)には、通常の活力レベルに戻ると医者は言っている。このニュースの感情面で素晴らしいところは、カレンダーを指さして「普段のランディが戻ってくるから、そのときのために活動を計画しよう」と言えるようになったことだ。普通に戻れるというのは小さな期待であってもすごい贈り物だ。 次のスキャンは4、5ヶ月後の予定だ(通常3ヶ月ごとだが、検査は - どういうわけか - ここだけスキャンの間に大きな間がある -- 個人的には、何か安堵を覚える!) ジェイと私はスキャンの日を前もって知らせないことにしたが、それはただ心配する人を増やすだけで、生産的でないからだ。結果はスキャンの後にポストする。 支援してくれるみんなにもう一度感謝したい。喜んで助けようという人がこんなにもたくさんいるというのは、本当に勇気づけられる。 ピッツバーグで一家幸せな一日を過ごしている!

2007年3月13日

ランディからのメール  ポジティブでいるということ

多くの助けを受けて私はこの過程を進み続けることができた。どれほど多くの人が私を応援してくれているかということは特に励みになった。私が最初に診断されたとき、5年生きられる可能性は3%しかないと聞かされた。その時の私の反応は、「私は勝つ手のないシナリオなど信じない」というものだった(スタートレックのファンなら、これが2番目の映画である「カーンの逆襲」からの引用であることがわかるだろう。この映画の中で宇宙艦隊の士官は「コバヤシマル」と呼ばれるシミュレーショントレーニングを受けるのだが、そこではどんな選択をしようと、乗員全員が死ぬことになっている。カークがアカデミーの士官だったとき、彼はこのシミュレーションをプログラミングし直した。それは「勝つ手のないシナリオなど信じない」からだ。 だから私がM.D.アンダーソンできつい状況にいたとき、下の写真を受け取ってどれほど勇気づけられたかを想像してほしい。手書きの文字が読み取れないなら、それはこう書いてある。「ランディに――私は勝つ手のないシナリオなど信じない――ビル・シャトナー」 ビルは実際だいぶ以前に私たちの研究室を訪れたことがあった。彼とチップ・ウォルターは、スタートレックに出てくるサイエンスフィクションの中で実現されているのは何かについての本 I'm Working on That を書いており、そのための調査をしていた時の話だ。彼は私たちの研究室でバーチャルリアリティをたくさん体験していった。

kirk.jpg

2007年3月26日

ランディからのメール

1週間前に、5-FU化学療法の最後の6週間の部分を開始した。今日血液検査をして、WBC(白血球数で、感染への抵抗力を示す)、ヘモグロビン(血液の酸素を運ぶ能力を示す)、マグネシウムレベルはいずれも許容範囲内だった。 最も重要なのは、体重が少し増えていることで、67キロになっていた。食欲刺激剤のメゲストロールを処方してもらったのが効いているようだ。一日中ブタみたいに食べながらわずかしか体重が増えないのは奇妙だが、これは私の体が現在食べ物をあまり効率的に処理できていないためだ。化学療法が終われば改善するはずだ。

2007年3月26日

ランディからのメール

さらにいいニュース…血液検査の結果はすべて問題なく、医者と私は化学療法の最後の一ヶ月を「ボールを回して時間を潰している」ように感じている。さらに重要なのは、化学療法が終わればフラッグフットボールや、ウォーターパークや、スキューバダイビングに行ってもかまわないと言ってもらえたことだ(どうも彼は患者からそんなことを聞かれることはあまりないらしかった!)

2007年4月17日

ランディからのメール 読んでもらいたいメール

今回のことすべてを通じ、私はポジティブでいようととても努力してきた。しかしこのような状況で実際どれだけできているのかは分かりがたい。以下のメールを受け取って、少なくともここに書かれている瞬間におては、私は人生を楽しめているのだという希望を与えられた。

・・・昨夜(月曜)、私は偶然に大学から帰るあなたの車の数ブロック後ろを走っていました。それがあなただとは気付かずに、こんな風に思っていました。「ああ、あの人は本当にこの瞬間を楽しんでいるのね・・・暖かい早春の夜にドライブしながら、屋根を開けて風に髪をなびかせ、顔に笑顔を浮かべて・・・たぶん奥さんと、それに小さな子供たちのいる家に向かっているんだわ・・・あれこそ人が生きるあり方だわ」。それからその車が左折したときに、それがあなただったことに気付いたのです。そして思いました。「あれはランディじゃない! あんなに幸せそうにして! (車の中に一人でいるけれど、誰からも見える道の上という)最も私的な面が外に現れたこの瞬間において、これ以上に人生を生きている人というのは想像できない。これ以上に人生がふさわしい人なんていないわ!」 あなたの幸福と人生を、私たちたくさんの者に分け与えてくださって本当にありがとう。あなたの知るよしのないことですが、昨夜のこの一瞬の光景が、どれほど私を高揚させ、人生のなんたるかを思わせたか・・・

 

2007年4月18日

ジョンズ・ホプキンス・ワクチン…

去年の9月にどのような治療法があるか調べたとき、可能な選択が2つあった。バージニア・メーソン・プロトコルと、ジョンズ・ホプキンス大学で開発されたワクチンだ。バージニア・メーソン・プロトコルの方を選んだのは、より良い成果を出していて、多くの人に処方されていたからだ。

しかしバージニア・メーソン・プロトコルをやった後にジョンズ・ホプキンスワクチンを受けることも可能だということがわかった。ワクチンは化学放射線療法とはまったく違ったアプローチを取るため、両方の治療を受けることで可能性を高められる。また、ワクチンの方には実際的な副作用がないということもある。

ジョンズ・ホプキンス大で5月29日からワクチン治療を始めるように調整した。

これは正式に帽子の中の最後のウサギになる。しかしいいものには違いない。確認する方法はないが、私の45%の生存率をたぶん何ポイントか引き上げてくれるだろう。そしてこういった賭ではほんの小さな違いが大きいのだ。

バージニア・メーソン・プロトコル再現される!!!!!

手術の後に治療コースを選択したとき、「標準的な治療」である化学療法の5年生存率は15%だった(あるいは死亡率85%と言ってもいい。その方がお好みなら…)。

私は有害度の高い「バージニア・ソーソン・プロトコル」に賭けた。これは45%の人が5年以上生きている…ただしこの結果はたった100人に基づいたもので、すべてバージニア・メーソン病院でのことだ。科学者として、そのような危うい木の枝に上るのは気が進まない。しかし今の場合、ジャニス・ジョプリンが歌っているように、「自由というのは、失うものがないということ」なのだ。

だからセントルイスにあるワシントン大学でこの結果が再現されたということを知ってどれほど私が心を躍らせたか想像してみてほしい! 自分が正しい馬に賭けたのだと知ってどれほど安堵したか…治療は有害性のあるものなので、実際はいいアプローチでないとわかったなんてことになったら、本当にひどい思いをしただろう。今ではいいアプローチであることが明らかになった。

2007年4月25日

ランディからのメール

今週のスローガンは「化学療法は累積する」だ。私のエネルギーレベルは低下し、初めての医療的恐怖を体験した。月曜日に、私は突然吐き気と、一過性熱感と、刺すような胸の痛みを経験した。幸い、起きたのが病院にいるときだったので、医師たちが心臓の問題のような深刻なものから速やかに消していった。どんな感じかというと、ひどい胸焼けの発作みたいだった。月曜の夜に再び起きたが、その後は起きていない。(どちらの場合も制酸薬と休息により速やかに消えた。) 後から考えると、これは「ああ、いったい何が起こったんだ」という最初の経験だった。私の受けた手術の難しさと化学療法の度合いからして、こういう発作がもっと起きていないのは驚くほど幸運なことだったのだ。それも病院にいるときに起きて、すぐに処置してもらえたのだから! いいニュース: 来週月曜日、4月30日午後2:30、私はすべての治療を完了し、この6ヶ月間腕につけていたPICCを外すことができる。それから一月ほどで私の体の強さ/活力/健康は正常な状態に戻る。ああ、待ちきれない!!

2007年5月4日

ランディからのメール

月曜日に化学療法を完了した! PICC(静脈カテーテル)をはずしてもらった。あれがなくなってせいせいした! 家族が素晴らしいお祝いをしてくれた。写真は風船を持った男の子たちだ。クロエは初めて歩いてお祝いしてくれた! 私は運動を再開し、まずは自転車から始めた。スタミナがまだ全然ないのだが、追々戻ってくるだろう。最近撮ったCTスキャンに影はなく、CA19-9は19でこれは正常値だ。今のところは、がん再発の兆候は見られない。勝利まではまだまだ長い道のりだが、負けなかった日は長期的な勝利へと一歩近づいた日なのだ。 半年間の化学療法でまだ体が弱っているが、6月1日までには、すっかり健康状態が戻るはずだ。すでに失った20キロのうちの8キロを取り戻した。 私の長期的な勝算は相変わらず45%だが、私はこのコイン投げに勝てるだろうと楽観的に思っている。

2007年5月22日

ランディからのメール

治療が始まったときには83キロあった。一番体重が減ったときで63キロになり、20キロ落ちた。一番気落ちしたのは、結婚指輪がすぐに抜け落ちてなくしてしまいそうなので、外さなければならなかったことだ。今は76キロにまで戻り(83キロもいらない。79キロまで戻れば十分だ)、再び結婚指輪ができるようになった - やった!

2007年5月30日

ランディからのメール

昨日はジョンズ・ホプキンスワクチンに適格か調べに行った。CTスキャンを撮るので、悪い知らせを聞くことになる可能性があるのはわかっていた。今回は実際悪いニュースがあった。詳細はここに。(いい話だ。) 幸い、これもまた擬陽性であることがわかった。こういった瞬間(ヒューストンで2回あった)は、たぶん化学療法や放射線療法自体よりももっと辛いものだ。妻のジェイに言ったのだが、私はあといくつ弾をかわせるかわからない… これはワクチン接種の開始を数日遅らせることになったが、同時に家族と過ごす1日1日に自分がどれほど価値を置いているかを再確認することになった。

2007年6月1日

ランディからのメール

昨日のMRIでCTスキャンにあったのは嚢胞だったことがわかった(MRIは他の小さな病変もがん性ではないことを示していた)。やれやれ!! 昨日ワクチンの接種を受けた。6本の注射をし(両脚に2本ずつと、左腕に2本)、右腕を生検のため2針分だけ切った。大きな痛みも副作用もない。ワクチンがどう取り込まれているか見るために血液の採取を1日1回4日間行う。母はジョンズ・ホプキンス大の近くに住んでおり、今週末には家族みんなで来ている。ジョンズ・ホプキンスの人たちはすごく親切だ。研究者のバーバラ・ビジツキーは日曜も仕事しているので、来週いっぱいいなくて済む。今回の旅行ではたくさんの素晴らしい人たちに出会えた。

2007年6月28日

ランディからのメール

昨日ジョンズ・ホプキンスワクチンの2回目の摂取を受けた。取り立てて変わったことも痛みもなかった。ただ6本注射を打ち、ゆっくりと20センチの痛みのない腫れが腕と脚にできるというだけだ。これは実際クールだ。ちっとも痛くない。

2007年7月23日

ランディからのメール

月曜にジョンズ・ホプキンスで最後のワクチン投与を受けた。前の2回の摂取と同様、6本の注射(太ももに2本ずつ、2本を左腕に)を打ち、蜂に刺されたみたいに大きく腫れ上がった(20センチくらい)。しかし痛みはなく、ちょっとかゆいくらいだ。6ヶ月ごとに追加の摂取を受けることになるが、ずっと先の話だ。 興味深いのは、これが私にできる最後のことであり、そのことに少し不安に感じる。この不安からすごく熱心に運動をやりはじめた。さらに手術や化学療法が必要になる場合に備えて体を作り上げておかなければ…

今何が起きているのか?

妻のジェイと私は長い間この可能性を考えてきたが、妻と子供たちはノーフォークの少し南、バージニアの親戚の近くにいるのが最善だと思う。計画では労働者の日の休日に移って、ディランが9月4日から幼稚園に通えるようにしたいと思っている。家の契約をそんなに早くはできないので、一時的な住まいとして近くのビーチハウスを借りるつもりだ。

こういう結果になることはもちろん望んでいなかったが、妻と私は後悔していない。勝算を最大にするためにできることは何でもしてきた。親切に助けてくれたみんなには感謝している。

このことで奇妙なのは、私が失望していないということだ。私は現実から目を背けているわけではない。(安心してほしい。私は何が起ころうとしているのか完全に理解している。) 自信を装っているわけでもない。最悪の気分と11ヶ月の病気を体験したあと、ようやく完全な健康を取り戻し、その活力が素晴らしい感情的な支えになっている。だから私は一日一日を全力で楽しみ、動けなくなるまで子供たちと一生懸命遊ぼうと思う。

個人的にこのことをお知らせできなかった人たちにはお詫びを言いたい。たくさんの人が同じ質問をするので、ここで簡単に答えさせてもらうことにする。

エンターテインメント・テクノロジー・センター(etc.cmu.edu)はどうなるのか?

私は実際2006年1月でETCの運営から離れており、それ以来ドン・マリネッリがすべての責任を負っている。だからETCには何の影響もない。

Aliceプロジェクト(www.alice.org)はどうなるのか?

私は長らくこのプロジェクトの公の顔を勤めてきたが、実際にはプロジェクトは複数の大学の共同作業へと成長していて、中心になる研究者が4人か5人いる。Aliceチームはプロジェクトに専念しており、2008年中にAlice v3.0 (Javaの学習とSimsキャラクタの使用ができる)のリリースを予定している。ピーター・リー、ダン・サウォーリク、ランディ・ブライアント、ジャレド・コホンに会ったが、みんなAliceプロジェクトがスムーズに進むようカーネギーメロン大として取り組むと言ってくれた。

ピッツバーグとカーネギーメロンを永久に去ってしまうの?

違う。ディランが幼稚園に最初の日から通えるように急いで引っ越しをしているが、私はカーネギーメロンに戻ってくる。私はメールでも電話でも連絡を取れる。9月18日にはカーネギーメロンで講演をする予定だ。

私たちがすべきでないことは?

専門家から子供たちにはまだ話すべきではないと忠告されている。だから私たちに会いに来るときや、留守電を入れるような時には、そのことを注意してほしい。

カーネギーメロン、教会、友人、親類、私たちに良くしてくれた人たちすべてにお礼を言って締めくくりたい。私たちはとても感謝しており、ハッピーエンドにならなかったことを申し訳なく思っている。

今はまた一番悪いときでもある。最近のCTスキャンは私の肝臓に10個の腫瘍があることを示していた。脾臓にも細かい腫瘍が点々とある。医者は今まで見た中で最も急な再発だと言っている。医者は「どれだけ生きられるか」予想するのは難しいとすぐに答えたが、共通認識としては比較的いい健康状態でいられるのは3-6ヶ月というところらしい。その後、どれほど早く終末を迎えるか言うのは難しく、それもあまりきれいな終わり方にはならない。始めからわかっていたことだが、この時点に至っては効果的な治療法はない。時間を稼ぐために緩和的化学療法をすることになる。これが機能するのは15-20%のケースで、しかも稼げるのは数ヶ月だけだ。CTスキャンの結果については血液マーカーと針生検で確認を取っており、診断には間違いの余地がない。

2007年8月31日 

ランディからのメール 緩和的化学療法が始まる

昨日私はゲムシタビンの最初の投与を受けた。来週はタルセバを追加する予定だ。最初の36時間は副作用がなかった(やった!) 明日はディランと私で3日間の「ディランとパパの旅行」をして、フロリダでイルカと泳いだり、ミッキーマウスに会ったりしようと思っている!

2007年9月4日 

ランディからのメール

私はどうも少しばかり忙しすぎた。余命宣告を受けてすぐ、自分にとって最優先のことの1つは子供たちに思い出を作ってやることだと気が付いた。 クロエとローガンはどちらも幼くて、私の直接の記憶は残らないだろう。一番年上のディランは5歳(12月で6歳になる)だが、この子の記憶も曖昧なものになるだろう。技術的な疑問は、どうすればできるだけはっきりとした深い記憶を残すことができるかということだ。特にそれが動物好きの子供だったら? 答えはきっと、イルカと一緒に泳ぐことだろう! ディランと私は3泊4日ですばらしい「パパとディラン」のオーランドの休日を過ごし、マジックキングダムに行き、それからディスカバリーコーブでイルカたちと泳いだ。どちらも私たちにとって素晴らしい場所だった。特別な機会を与えてくれ、さらにいいことには、写真家たちが記憶を強めるイメージを提供する写真を撮ってくれたことだ。すごくたくさんの写真があるが、何枚かをここに挙げておこう。私がいなくなった後にディランが大事に取っておいてくれることを望んでいる…

randyAndDylanWithDolphon.jpg

最後の授業 ぼくの命があるうちにが2007年9月18日に行われた。


 




[ 2008/07/22 20:47 ] 膵炎 治療・療養 | TB(0) | CM(0)
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